osktakiのブログ

糖尿になりました。55歳から日々の生活と改善方法をお知らせします

ひかえめに

2型糖尿になった理由としてとにかく食べる量が人より多く甘いものが好き。
よくこれだけ食べると今振り返ると思います。
週1回は二郎ラーメンでましましを完食、口直しにアンパンこのような生活を続けておりました。
また、ジュースを1日1.5リットル1本は必ず飲んでおりました。
体重も165CM 98KGまで増加して会社の健康診断で再診となり
医者に行くことになりました。医者にいくと糖尿と診断されすぐに薬物療法となりました。
医者いわくとにかくやせなさい。また、糖質制限が必要とのことでした。
ごはんは食べないほうがいいと言われました。この時状況として体が始終だるく
のどがかわき典型的な糖尿の症状です。また、ごはんを食べられない絶望感がすごかったです。
しかしこのまま、だるい状況がつづくのかと思い医者の言う、糖質制限、をスター
トしました。それにより減量に成功して65kgまで体重が減りました。


当初の糖質制限時、徹底して糖質制限をしており当時なぜか体に力がはいりませんでした。
しかしだるさもなく減量ができ気分的には良好でした。
1年ほど実施し、会社の健康診断があり医者に診察を受けてきました。この時医者より胃に影があると指摘を受けました。そこで再度CT検査です
なんと癌に・・・・・・
大学病院を紹介してもらい再度診察して入院、手術、となりました。
自分の経験を話しますが手術前日怖かったですが、当日、手術室で麻酔をうたれたあと意識がなくなるり、起こされたら手術が終わっておりました。
なんか間抜けな話ですが本当にすぐ終わりです。そのあとの後遺症がたいへんです。
私の場合未だに左手が痛く、しびれのような痛みがつづいております。
食事も今迄みたいにたくさん食べれません。脳はもっと食べろと指示をだすのですが胃がないため沢山たべると戻してしまいます。それにより、胃もなく医者より栄養を取るように言われ糖質制限を解除しました。
そうしましたら予想に反し太り始め75kgまで体重が戻りました。
そこで、再度糖質制限を再開した次第です。なかなかほどほどな生活ができません。
みなさんのプログを参考に元気をもらい頑張ろうとおもいます。
たまに息抜きに私のブログもお読みください。ながながありがとうございます。

ミゼット

埼玉の川越に行ってきました。
ミゼットが展示してありました。
エンジンもかかり今でも乗れる車です

当時、子供であった僕は、この車になつかしい思い出があります。
内装を確認しましたがものすごくシンプルにできています。椅子のソファーもクッションが少なく長距離は厳しそうです。もっともエンジンがもたないですね。
当時三輪ゆえ倒れる事故があいついで販売中止になりました。
近くにある駄菓子屋におかしの卸屋の人が配達にミゼットにやってきてました。
ミゼットがきた日に新しいおかしおよびくじが入荷しているので10円を握りしめて
駄菓子屋行った記憶があります。
いろんなお菓子をたべましたなかでもすももと杏子が大好きでした。
小林あきら 自動車ショー歌、すーだら節流行し日本がまだ貧乏ですがこれからのびる時代です。今の中国のような日本は、環境、品質より安さを武器に世界に展開し始めた時代でした。1$360円のアメリカを羨望し、日本人であることにほこりをもち自分の父親世代は働きました。日曜日だけ休みでそれも出勤して働く人もおりました。なつかしくいいことのみ記憶に残りますが日本が頑張った時代でした。


我が家のやんちゃ


現在借家に住んでいます。うちには犬2匹、猫1匹います。
この子たちは、本当に自分の子供よりかわいいです。食い意地がはりますが夜寝てると布団に入ってきたり、私が出勤するとついてこようとします。帰ってくるとうれしそうで
すごくいやされます。
大家さんが寛大な方で許してくれてます。
この家の問題として、やたら庭が広くて夏場雑草の処理が大変なとこです。
とりあえずクワで雑草をとるのが休みの日の日課になります。
熱い中雑草をかるのがまた大変ですが、座敷犬である犬も一緒に庭にでて邪魔をしてくれます。内容は、人が通るとやたら吠えるためご近所迷惑はなはだしいです。
吠えないように言い聞かせるのですが、自分が私をまもっているのか少し経つとまた吠えます。自分の言うことをあまり聞きませんがその全部が大好きです。
犬2匹はすでに老犬でミカンとどんぐりと言います。
みかんは12歳、どんぐりは9歳人間の年齢ではもうおばあちゃんですが嫁と私と2人と2匹で散歩をするのが大好きです。週末は散歩しようと思います。
今週末は雑草かりと散歩を予定してます